国語力は、すべての教科の学力の土台です。
算数・数学、理科、社会、英語も、すべての教科のテキストは国語、すなわち日本語で書かれています。日本語で書かれた文章を読み、日本語を使って考え、日本語で伝えることで、すべての教科は成り立っています。
すべての教科の学力をつけるためには、まず日本語の理解力、すなわち国語力を身につけなければなりません。
子供の学力は国語力で決まる、と言っても過言ではありません。
国語力は、社会で生きていくための力でもあります。
IT社会の中で主体的に生きていくためには、ITにはない能力、人間にしかない能力を身につけておかなければなりません。
ITにはない、人間だけの能力、それは「考えること」「伝えること」です。
ことのは学舎は、すべての教科の土台としての国語力、「読む」「考える」「書く」力を育てます。
また、子供たちが将来、社会の中で力強く主体性を持って幸せに生きていくための、「考える力」「伝える力」を育てます。
近年、子供たちの学力低下がしばしばマスコミで取り上げられています。
国立情報学研究所の新井紀子氏らの調査では、公立中学校の生徒の約50%が教科書の内容を理解できていない、という結果が報告されています。
この調査結果は、30年間教育業界で小学生から大学受験生まで多くの子供たちに教えてきた、私(ことのは学舎学舎長)の教育現場での実感と一致します。
現在、多くの学習塾・予備校において、生徒の学力低下が原因でどの科目も授業が成立しないという事態が生じています。
多くの子供たちが、テキストや問題文の内容を読み取れず、先生の解説を聞いても理解できません。物事を筋道立てて論理的に考えることもできません。当然のことながら、自分の考えを正確に話したり書いて伝えることもできません。
そういう子供たちに対して、学校や学習塾・予備校は、本来ならば「読む」「考える」「書く」という本当の学力をつける指導を行わなければならないのですが、残念ながらそのような授業はほとんど行われておりません。
多くの教室では、本当の学力をつける授業を断念して、学力がない生徒でもできる、覚えたことを当てはめるだけ、という授業が行われています。
その結果、生徒たちは本当の学力を身につける機会がないまま、年齢を重ねていきます。
一方、入学試験で生徒を選抜する学校側が求めているのは、本当の学力がある生徒たちです。覚えたことをあてはめることしかできない生徒に入学してもらいたいとは考えていません。
上級の学校になればなるほど、入学試験に「読む」「考える」「書く」能力を要する問題が出題されます。
本当の学力のない生徒は、確実にふるい落とされていきます。
こうして学力格差が生じてくるのです。
学力格差の原因は、「読む」「考える」「書く」能力の差なのです。
この学力格差は、子供たちが学校を卒業して社会に出たあとにも、大きな影響を与えます。
近年のAI技術の目覚ましい進歩によって、現在人間が行っている多くの職業の半数以上が10年後にはITにとって代わられている、と予想されています。
特に、作業手順を覚えて当てはめるだけの単純作業はITの最も得意とするところであり、そのような職業は確実に消滅していくと考えられます。
入試でふるい落とされた、「読む」「書く」「考える」という本当の学力のない生徒は、社会に出て仕事に就き生活していくことも難しくなっているのです。
AI社会を生き抜くためには、コンピューターにはない能力、すなわち、自分の頭で意味を考え、自分の言葉で伝える能力を身につけておかなければなりません。
本当の学力は、子供たちが未来の社会で生きていくためにも必要なのです。
未来の社会を幸せに生きるために、子供たちに、「読む」「考える」「書く」力をつけてあげること、これは、私たち大人の務めです。
本来、そのような力は家庭や学校で身につけるべきものなのでしょう。しかし、現実にはなかなかうまくいきません。
ことのは学舎では、日々の授業の中で言葉と向き合い、子供たちに、読むことの面白さ、考えることの楽しさ、自分の言葉で伝えらることの喜び、を教えます。
目先の目的として、国語をはじめとしてすべての教科の成績を向上させることは、当然です。しかし、勉強の目的はそれだけではありません。
「読む」「考える」「書く」という本当の学力を身につけることで、子供たちが学校生活でも、また社会に出てからも、能動的、主体的、積極的に自分の進む道を切り開き、自分の幸せを自分で手に入れられること。それが、ことのは学舎が目指すものです。
ことのは学舎は国語教育を通して子供たちの考える力・伝える力を育て、子供たちの未来に貢献したいと考えています。